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高知地方裁判所 昭和41年(行ウ)4号 判決

原告 金子健朗

被告 高知県厚生労働部国民年金課長

訴訟代理人 片山邦宏 外四名

主文

被告が原告に対し昭和四一年五月一二日付でなした辞職承認処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、原告が昭和三八年七月二六日高知県厚生労働部保険課地方事務官を命ぜられ、その後昭和四〇年七月一五日から高知県厚生労働部国民年金課地方事務官の職にあつたこと、原告が昭和四一年五月一二日午後九時頃から午後一〇時頃までの間に、一身上の都合から、任命権者である被告(当時高知県厚生労働部国民年金課長は木村孜であつた。)に対し辞職願を提出したこと、および同年同月一三日午後七時三〇分頃右木村課長が原告に対し原告主張のような辞職願を承認する旨の人事異動通知書を郵送し、同年同月一四日午前一一時右人事異動通知書が原告に到達したことは、当事者間に争いがない。

二、ところで、原告は、右辞職願を提出した後である昭和四一年五月二二日午前一〇時頃訴外川口健夫および同寺田福雄の両名を代理人として、当日上京していた木村課長不在の間高知県厚生労働部国民年金課長の事務を代行していた同国民年金課課長補佐高橋通夫に対し、右辞職願を撤回する旨の意思表示をしたが、もともと公務員の辞職願の徹回は辞令の交付があるまでは原則として自由であるから、その後になされた被告の本件辞職承認処分は違法であると主張するところ、被告は、当時高知県厚生労働部国民年金課長であつた木村攷は、昭和四一年五月一二日午後九時頃国民年金課事務室において原告から提出された辞職願を受理した際、即座に原告に対し辞職を承認する旨告げたから、該辞職承認処分の効果は発生し、原告が辞職願を撤回する余地は存しないし、仮りに然らずとするも代理人による辞職願撤回の意思表示をすることおよび任命権を有しない課長補佐に対し辞職願撤回の意思表示をすることはいずれも許されないところであつて、原告主張の本件辞職願撤回の意思表示は有効なものといい難いと主張するので、以下この点について判断をする。

〈証拠省略〉を総合すれば、次のような事実が認められる。

1  原告は、昭和四一年五月一一日午後一一時四〇分頃、高知市中島町森本石油店の県庁前給油所において、同石油店の所有にかかる普通貨物自動車からガソリン三リツトル(時価金一五〇円相当)を抜き取つていたところ、同石油店の宿直員に発見され窃盗の現行犯として逮捕され、高知警察署において窃盗事件の被疑者として取調べを受けるに至つた。

2  当時の高知県厚生労働部国民年金課長木村孜は、同年同月一二日午後三時三〇分頃、課員である原告が右窃盗被疑事実に基づき現行犯人として逮捕され高知警察署に留置されて取調べを受けているとの情報を得たので、直ちに松岡慶吉係長を同伴し同警察署に赴き、取調中の捜査官からその実情を聴取し、右窃盗被疑事実を確認した。そしてその際に、原告が犯行時にビニール製ポンプおよび三リツトル入りの空罐を所持していたことから、原告に窃盗の計画性や常習性が認められ余罪もある見込みであると聞かされた。そこで木村課長は、当時県職員の不正行為に関連して職員の網紀粛正が特に強く叫ばれていたときでもあつたため、捜査官に対し事件の寛大な措置を要請するとともに報道機関に対して右窃盗被疑事件の発表を差止めるよう依頼したが、既にラジオ高知の記者に察知されていることが判明したので、特に同放送に対しては警察を通じ報道の差止をせられたい旨懇請して帰庁した。

3  しかし、原告の右窃盗被疑事件は既にラジオ高知の記者から県人事課長に照会があり、更に県厚生労働部次長もこの事実を聞知するに至つたので、木村課長は厚生労働部次長、人事課長ならびに同課長補佐に対し事実を連絡し、原告に対する措置につき協議した。ところが、そのときには既に同年同月一二日午後三時頃の高知放送ラジオニユースで高知県厚生労働部国民年金課課員である原告が窃盗容疑により逮捕された旨の放送が行われたことを、この放送を聞いた市民から他課職員を通じて聞知し、その反響の意外な迅速さ、広範さに加えて該事件のもつ意義の重大性からして、独り国民年金課課員にとどまらず高知県職員の不正行為として注視せられるから、県庁全体の立場に立つて県の綱紀粛正にともなう従来の処分との均衡を失することのないよう原告の身分関係に対する判断をなすべき必要を痛感した木村課長は、県側の意見をも参考として聴取したところ、高知県においては前年の汚職事件により綱紀の粛正をはかつており県民もこのような事件については特に深い関心をもつている実情であり、右窃盗被疑事件が金額的に微細なものであるにしても、公務員として破廉恥行為であるから事犯の軽重ということよりも行為自体に問題があり、特に国民年金課の業務は県民から少額な保険料を徴収するものであるだけに、該事件は県職員の信用を失墜するものであることは勿論、更には県民の保険料納付意欲の喪失を招来せしめ、所管事務に与える影響も甚大であると考えられるので、県職員ならば恐らく懲戒免職処分に付するのが相当であると思料されるが、原告の将来を考慮し原告が自主的に辞職願を提出すれば依願退職として承認するのが相当であろうとのことであり、木村課長自身の意見と同趣旨のものであることが判明した。そこで、木村課長は、原告の処分については、県側の右意見および県の行なつた他の処分との均衡をも考慮したうえで、原告が自主的に辞職を希望するならば、依願退職処理を妥当とするとの一応の態度決定をしていた。

4  ところで、原告の身柄については同年同月一二日夜間に釈放するとの連絡を警察側から受けていたので、木村課長は身柄引受人である原告の義兄訴外上甲秀敏を須崎市から電話で呼び寄せ、国民年金課事務室において事件の顛末を告げるとともに原告の進退についての意見を求めるなどした後、同訴外人および松岡慶吉係長の三名で高知警察署へ赴き、原告の身柄の釈放を得て、同日午後九時前頃いつたん国民年金課事務室に引き揚げた。

5  そして、木村課長は、右上甲秀敏、高橋通夫課長補佐および松岡慶吉係長立会のもとに、原告に対し、県庁においては綱紀粛正につき厳正な態度で臨んでいる実情にあること、原告の前記所為は著しく公務員の信用を失墜せる行為であることおよび原告の該所為は既に高知放送を通じ県民に報道されていること等を告げ、原告の進退問題につき意見を求めたところ、原告も思案に暮れた末遂に辞職願を提出することを決意するに至つた。そこで原告は、松岡慶吉係長から用紙の交付を受け高橋通夫課長補佐から辞職願の記載方を教示され、なお木村課長から特に指示されて日付を空白にした辞職願(乙第一号証。同辞職願の日付欄は後に高橋通夫課長補佐が補充記載した。)を作成し、その場で木村課長に提出したところ、木村課長はこれを受け取り、原告の右辞職願は多分承認されることになるであろうが、追て通知するから自宅で待機するように言うので、原告は国民年金課事務室に置いていた私物をとりまとめ、義兄である上甲秀敏に伴われて帰宅した。

6.ところで、木村課長は、同年同月一二日夕刻、急遽上京して主として社会保険庁および上京中の高知県厚生労働部長に対し原告の惹き起した前記事件の全般につき報告をなし、また部下職員の監督に不行届があつた自己の進退問題につき相談することを思いつき、松岡慶吉係長に命じ緊急用務の場合にのみ利用することが認められている東京行の航空便の切符を調達せしめ、翌一三日早朝高知空港発の飛行機で上京した。

7.一方原告は、前記のように辞職願を提出して帰宅したものの、辞職が承認されれば当然失職したちまち路頭に迷う結果に立ち至ることは必定であるので、何とかしてこれを回避すべく煩悶した揚句、同年同月一三日早朝かねて知り合いの訴外寺田福雄に相談し、辞職願を撤回することを決意し、右寺田福雄から紹介された高知県職員労働組合の書記長をしていた訴外川ロ健夫と右寺田福雄の両名に対し、辞職願を撤回する旨の意思表示を任命権者たる木村課長に伝えてくれるよう依頼した。右川口健夫は、従来の事例からして既に辞職が承認されておれば辞職願の撤回の意思表示をしても効果がないことを承知していたので、まず同年同月一三日午前九時頃国民年金課事務室へ電話をして高橋通夫課長補佐に未だ辞職の承認がなされていないとの回答を得たうえ、同日午前一〇時頃右寺田福雄とともに国民年金課事務室へ赴き、高橋通夫課長補佐に対し原告の辞職願撤回の意思を伝え、該辞職願を返還するよう求めたが、右高橋通夫課長補佐は、木村課長が右辞職願を携え上京中であり国民年金課事務室には存しないから返還できないと返答するので、川口健夫らはやむなく右国民年金課事務室から退出した。

8.なお、木村課長は同年同月一三日午後七時頃高知に帰来し登庁し、そのときまでに作成されていた原告の辞職を承認する旨の昭和四一年五月一二日付の人事異動通知書を、松岡慶吉係長をして原告に郵送せしめた。

以上の事実が認められ、右認定に副わない〈証拠省略〉の各記載は前掲各証拠に対比して措信し難く、また右認定に牴触する〈証拠省略〉は措信できない。そして他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、国家公務員の辞職に関しては、人事院規則八-一二(職員の任免)第七三条に「任命権者は、職員から書面をもつて辞職の申出があつたときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。」との規定および同規則第七五条第一〇号に任命権者は職員の辞職を承認した場合には、職員に人事異動通知書を交付しなければならない旨の規定があるが、辞職願の撤回がいつまで許されるかとか辞職願の撤回の方式等については何らの規定も存しないので、これらの問題については結局一般法理上の見地からこれを決定せざるを得ない。

思うに、辞職の意思表示は願であつて届ではないのであるから、辞職の効果は任命権者の辞職承認という行政行為がなされ、しかもこの行政行為が相手方たる職員に到達したときに発生すると解すべきものである。従つて辞職承認処分が提出者に対する関係寿有効に成立した後においてはもはやこれを撤回し得ないと解すべきことは勿論であるが、その以前においては辞職願を撤回することが信義に反すると認められるような特段の事情の存しない限り、辞職願を撤回することは原則として自由であるといわなければならない。

このような見地に立つてさきに認定した事実に基づき考察するに、任命権者である被告の本件辞職の承認処分は、被告が昭和四一年五月一三日午後七時過頃に郵送し同年同月一四日午前一一時頃原告に到達した前記人事異動通知書によりなされたものと認められるところ、原告の本件辞職願撤回の意思表示はその以前である同年同月一三日午前一〇時頃に、原告の依頼を受けた訴外川口健夫および同寺田福雄を通じて、木村課長の上京不在中に高橋通夫課長補佐に対してなされたものである。

そして、訴外川口健夫および同寺田福雄の両名を介してなされた原告の辞職願撤回の意思表示は、原告自身の意思決定に基づくものであり、右訴外両名は原告自身決定した辞職願撤回の意思表示を伝達した使者と目すべきものであつて、辞職願撤回の意思表示は使者によりなすことも許されるものと解せられるから、代理人による辞職願撤回の意思表示の可否の問題について敢て論及するまでもなく、原告の該意思表示として効力があるというべきである。

また、国民年金課課長補佐には職員の任命権限がないことは被告所論のとおりであるが、国民年金課課長補佐は国民年金課長の指揮監督を受け国民年金課長の職務を補佐する職務権限を有するものであることが〈証拠省略〉により認められるから、課長補佐は国民年金課長の補助機関として辞職願の撤回の意思表示を受領する権限を有するものと解するのが相当である。従つて、本件において原告の辞職願の撤回の意思表示が前述したように訴外川口健夫および同寺田福雄の両名を使者として高橋通夫課長補佐に対してなされた昭和四一年五月一三日午前一〇時頃に、被告自体に撤回の意思表示がなされたのと同一の効果を生じたものと解すべきである。

そして、既に認定した本件辞職願の提出からその撤回の意思表示をするに至つた一切の事情を検討してみても本件辞職願を撤回することが信義に反するというような特段の事情はこれを認め得ないから、原告の本件辞職願の撤回の意思表示は有効になされたものというべきである。

果してそうであるならば、本件辞職願は昭和四一年五月一三日午前一〇時頃有効に撤回されているにもかかわらず、その後被告において同年同月一二日付の人事異動通知書を郵送し辞職承認処分をなしたとしても、それは辞職願が存在しないのに敢てなされた違法の処分であつて、取消を免れないものといわなければならない。

三、よつて、原告が被告のなした原告に対する昭和四一年五月

一二日付辞職承認処分の取消を求める本訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安芸保寿 稲垣喬 小野聰子)

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